物心ついた時からアブアンバサダーの虜だった。
小学生の頃、いつも釣り場で会うお兄さんのタックルがイカしてた。
白帯のグリップにフェンウィックのロッド。そして、シルバーグレーのアンバサダー2500C。
ダブルスイッシャーのルアーが付いていた記憶がある。
自転車で何時間もかけてフィールドに通っていた中学生の頃。
いつも釣りのことで頭がいっぱいだった。
大人になってもタックルの雰囲気は変わらない。
その出で立ちが「大人」だと、勝手に思い込んでいた。彼の様なタックルを手に入れられれば、大人の仲間入りができると思っていたのかもしれない。中学生になって、同じ気持ちを抱いていた友人たちは、次々とアンバサダーを手にしていった。クリスマスプレゼントとお年玉を合算するという親との交渉で、僕にもそのチャンスが訪れた。
ショーケースに並んでいたリールは、目を閉じていても何がどこにあるか、分かるくらい眺め尽くしていた。候補は緑と赤と黒のアンバサダー。黒は高価だったので、緑と赤に絞られた。直感で緑が格好良いと思い、購入した。5500Dだった。
1985年の写真。親父に連れて行ってもらった九頭竜川水系にて。友達に借りた5600ALにスピードスティックの1L-16HOBBだったと記憶している。煙草は親父の好きだった銘柄。
ワクワクしながら家に帰ってハンドルを回すと、なんと逆転するではないか。僕は壊れていると思い、釣具屋さんに戻って尋ねると、それが「ダイレクトリール」だということを知った。恐る恐る、店主に交換をお願いすると快く受け入れてくれたので、胸をなで下ろした。僕のアブアンバサダーの始まり、初めてのそれはEFマークの入ったプレートタイプの赤の5500だった。1979年製だったと思う。
日本の大型淡水魚には欠かせない6000番台。
左からABU Ambassadeur 6500 1978、6500CDL Proshop Fujioka private model、6500 1976
蝉が鳴き始めた初夏。本流域でのニジマス釣行。対岸の流れの当たっているオーバーハングの下から出てきた。頭の中で描いたシナリオ通りに出てくれて嬉しかった。 |
トラウトフィッシングのタックル |
梅雨。水量も安定して魚の活性も上がった。長良川水系での本流アマゴ。雨の中釣りをするのは好きな方。美しいアマゴが顔を見せてくれた。 |
2020年の初夏 |
それからはどこに行くのも一緒だった。釣りと釣り友達、青春は同じページに刻まれている。昔好きだった音楽を聴いて思い返すように、当時の釣り道具を見ると懐かしい友人を思
い出す。初めてのアンバサダーは、残念ながら手放してしまっていたが、今も赤色のアンバサダーを釣行の旅路に連れ出してしまうのは、あの頃の想いがあるからだろう。
トップウォータープラッギングの時は黒やシルバーグレーのアンバサダーを使用している。 |
赤色のアンバサダーをタックルにセットすると、僕はいつでも童心に返ることができる。
そんな気持ちにさせてくれる、釣り道具。ずっと僕の宝物だ。
高井 主馬