ABU FOR LIFE, BASS FOR LIFE. - 今江 克隆-

 

 

ABU創業100周年おめでとうございます。
自分にとってABUは今も昔もバスライフそのもの。
今の若い人には解らない部分も多いかもしれないが、日本のバスフィッシング黎明期からずっとバス釣りに関る人達にとって、ABUは特別な存在なのである。そんなABUと自分との関りに、ABU FOR LIFEを書いてみたいと思う。

今年はABU100周年、私にとってABUの歴史は自分のバス人生の歴史であり、バスフィッシングの原風景でもある。

 

 自分がバスつりを始めたのが今から45年前、小学6年生の頃だが、自分とABUとの出会いは小学6年生の頃だった。豊中のインターパレス大阪と言うルアー&フライ専門店に自転車で通っていたが、2Fの階段を上がった最初の右横側ガラス陳列棚にABUがずらりと並んでいた。
当時12歳の自分にとって、その光景は今も目に焼きついており、今で言う高級腕時計専門店で金無垢のロレックスがずらりと並んでいるようなイメージだった。その中でも特に燦然と輝くリールがあった。青銀色に輝くアンバサダー2500C、そして漆黒に赤のサムバーがバエまくる5600C赤ベロである。
当時発売されていた国産ベイトキャスティングリールは5000円~1万円前後だったと記憶している。その中でダントツの高額だった38000円のABU5600Cは、まさに少年今江にとって手の届かない、当時まだ存在すら知らなかったバスボート的?羨望と憧れの“バスフィッシングアイコン”だったのである。ABUを使っているおじさんアングラーを野池で見かけると、腕の善し悪し以前に「すげえ!!」と羨望の眼差しで見てしまうほど、ABUを所有するステイタスは強烈なものだった。

1978年頃、「アンバサダー5600C」赤ベロはバスアングラー羨望の憧れであり、ステイタスだった。
当時の価格38,800円は今の物価なら70,000円以上に相当するだろう。

 

 その裏には50年使える堅牢性と、精密機器の本場北欧スウェーデン&スイス神話があった。40年を超えるバスアングラーにとっては、ABUはバスフィッシングステータスの象徴であり、同時に「ルアーフィッシングの本場=北欧」だったのである。そしてABUに憧れ始めたバスフィッシングが、中学2年の時、2年間全額貯めたお年玉で遂に5600Cを手にし、高校1年時に2500Cを手に入れ、憧れは現実となった。そしてその当時、単行本で見たギラギラに輝くスキーターのコックピットから手を振るラリーニクソンの姿に衝撃を受け、「バスボート」、そして「バスプロ」が自分のバスフィッシングの新たな憧れになって行く。

 

そしてその強い憧れは23歳でマミヤ・オーピーを通じABUのサポートを受け、バスボートを手に入れ、ABUサポートのラリーと出会い共に琵琶湖で釣りをし、夢は現実となり今に至る。

しかし、私にとってのバスフィッシングの原風景はアメリカに始まったものではなく、スウェーデン生まれのABUで釣るバス釣りが今も変わらず私のバスフィッシングの核となっている。高額なABUを買えなかった学生時代を経て、まさかの展開でABUプロスタッフとなった事は自分が望んだ最高の憧れが叶った最初の瞬間だった。
以来、バスフィシング、そしてバスタックルに関る歴史は革命的にアメリカ、日本を中心に劇的に進化していくが、ABUのサポートを受けて以来約34年、どんなに画期的な国産リールが誕生しようとも、不思議な事に本心からベイトリールに関してだけはABUのリール以外に興味を持ったことがない。それは、驚異的な進化をし続けるバスタックルの歴史において、自分のバスフィッシングの原風景はABUにある事を、そして少年時代の青臭い匂いを、釣り道具への純粋な憧れの気持ちを、今も絶対に身近に「バスフィッシングの心臓」として残しておきたいと思っているからに他ならない。

 

 私とABUのかかわりは既に30年以上になるが、自分のプロキャリアの中でも最も誇りに思える出来事が、当時琵琶湖でラリーニクソンが右手でも左手でも自在に桟橋左右側面に投げ分ける姿を見て自分も練習を繰り返し左右両刀遣い(DUAL DEAL)を身に付けた事。巻きの右と撃ちの左と、4600Cをチューニングし琵琶湖のJBトップカテゴリーで優勝を続け確か初のAOYを獲得した年だったろうか、ABUスウェーデンが私のシグネチャーモデルを製作してくれる事になった。

 

初めてABU公式に自分の名前が刻印された
「4600C/REALDEAL と DUALDEAL」
スウェーデン スヴァングスタABU博物館にも飾られている名機だ。

当時、アメリカのバスプロシグネチャーモデルは存在したが、日本人として始めてスウェーデン製Ambassadeurに名を刻む事は、手の届かない高嶺のABUに憧れた少年時代から考えると想像もできなかった、この上ない名誉だった。

 

2001年、2度目のワールドシリーズ(現 TOP 50)AOYを獲得し、
2回目のグランドスラム達成時に生産されたモラムのシグネチャーモデル。

 

そして2001年にはモラムSX-ウルトラマグで再びシグネチャーモデルとして名前をABUに刻む事になる。

 

リールチューニングブームの先駆け的存在でもある
ZPI製「モラムSX1600AE74」
サイドプレートのホイールデザインは
この機種からの継承である。

 

米国ピュア・フィッシングの傘下になった後も、ABUは事あるごとに私のシグネチャーを製作してくれた。

 

スーパーグランドスラムと
生産No.000 が刻印されたモデルが
記念に贈られてきた。

 

 

 その関係性の裏には世界最大釣具メーカーでもあるピュア・フィッシング総裁のトム・ベデル氏との個人的関係が大きかった。どう言った訳かベデル氏に気に入られた私は、トムの米国アイオワの自宅に招かれ、クルーザーで豪遊したり、バークレー研究所を訪問、初めてバスマスターマガジンの実釣グラビア取材を受けるなど、貴重な経験をさせてもらう事になる。

 

左上:OTG(現ピュア・フィッシング)のアイオア州スピリット本社工場を訪問
右上:トム・ベデル氏とパワーランチでタックルの打合せ
左下:ピュア・フィッシング総裁のトム・ベデル氏の豪邸に招かれる。湖畔にある自宅には桟橋があり、バスボートから直接訪問。アジアのいち釣り人が、世界最大釣り具メーカーCEOから異例すぎる歓迎をしてもらった事は一生忘れられない想い出である。
右下:トム・ベデル氏の所有するクルーザーでスピリットレイクを疾走。巨大企業の総帥でありながら、トムは釣り人の心が解るアングラーでもあった。

 

 

 

そして2008年には遂にABUスウェーデンの招待で初めて憧れのABUスウェーデン本社を訪問する事になる。

スウェーデン王室、作家の開高健も利用したモラム川の畔にあるABUコッテージに宿泊。

 

 

 自分が経験した海外遠征の中でも、最も楽しく最も快適で、米国とは全く異なる北欧の素晴らしさを満喫し、ABUの歴史を隅から隅まで実感できた価値ある旅だった。

2008年、ABUの招待でついに念願のABUスウェーデン本社訪問へ。
少年時代に憧れたABUの本社に自分がいることの不思議さを感じた。

 

 最も感動した事は、Ambassadeur4600C/RD&DDL/IMAEが、本社ABU歴史ミュージアムに正規ラインナップとして展示されていた事だった。日本特注ではなく、ABUに自分の名前が正式に刻まれている事に感動を隠せなかった。

 

スウェーデンではパイク釣りを満喫。
自然の美しさと人柄の温かさに感動した。

 今や知らない人も多いかもしれないが、この本社訪問時、開発室の片隅に転がっていた、スタッフが遊びで作ったオーロラ色のサンプルリールを自分が見つけ、気に入って自分のシグネチャーにして欲しいと直接頼みこむ事に。ABUのスタッフはオーロラと思って色づけした訳ではなく、単なるイオンプレーティングの失敗作だったが、私にはそれが北欧のオーロラに思えたのだ(見たことはないが笑)。ここから今にいたる「レボ・オーロラ」が誕生したのである。

 

REVO」として初のシグネチャーとなった「オーロラ」と「アカツキ」
「アカツキ」はガンダムSEED & DESTINYにハマっており
その黄金の機体ネームから拝借した。

 その後、ABUは2009年生産のモラムZXシリーズを最後に、世界市況から新規の丸型リールの開発生産をストップする事になる。この時もABUは私にZX1600Cの初回生産の左右1号機にイマカツのスローガンである「不可能ヲ掴め」を刻印してわざわざプレゼントしてくれた。

 

2009年最後の丸型となった「モラムZX」シリーズ
こちらも左右生産1号機にNo.1の刻印と
イマカツのスローガンが入った記念モデルが贈られた。

 私たち昭和世代が憧れた丸型のABUの歴史はZXを最後に途絶える事になり、主流は米国市場をターゲットにしたロープロのREVOへと時代の流れに押され代わっていくことになる。トム・ベデル氏も勇退し、幾度かのM&Aをピュアフィシングは受けることになるが、ABUスウェーデンスヴァングスタ工場では今もビンテージモデルとしての丸型の生産を続けている。そして、嬉しい事に、事あるごとに秘かにスウェーデン製ビンテージに私の名前を刻んで送ってくれている。その中でもABUの代名詞でもある復刻Ambassadeur 5000 のRECORD Ambassadeur 5000と、結婚祝いの5000C/VINTAGEは私の宝物である。

 

ABUの5000レコード復刻版には、No.5000の刻印と自分の名前が、
この価値と感動は、50歳以上のバスアングラーなら必ず分かるはず・・・

 

 

こちらも記念モデルの5000Cビンテージ。刻印に驚かされた。

 

 ABUの歴史は米国市場中心となった現在、大きくその方針を変えてしまった。しかし、それでもABUの息吹はそこに息づいている。当時REVO単機モデルとして最大販売数を記録したLTZ。

LTZ AE74-Racingはゼロポジションセッティングでピッチングとキャスティングを両立させたモデル。

 

ベイトフィネスブームのさきがけとなった「LTZ930Pro/ik-combi」。
忖度抜きに本当にノンストレスで素晴らしいリールで、ボロボロになるまで愛用した。

 

 

そして2020年、再びREVOシグネチャーモデルとして、LTZの後継機種であるLX992Zがデビューした。

2020年秋、名機LTZの後継機種であるLX992Zが登場。
ベイトフィネス用だけでなく、巻物に使えるスペア深溝スプールで巻物にも対応するモデル。

 

 確かに高性能精密機器としての機械的完成度において、ABUは今や国産最上機種に比べると「一般的仕様」のリール、決してプロユースな尖がったリールではないかもしれない。しかし、名チューナーの手によって、それら国産最上位機種にも勝るポテンシャルを発揮する「余地」を含めたのも、またABUらしい釣り人の道具の楽しみ方なのかもしれない。

 

 ABU100周年、今江克隆57周年、自分は何周年までバス釣りを続けることが出来るかわからないが、年老いて最後にロッド&リールを握る時、それがABUから最後に贈られたAmbassadeur5600Cであって欲しいと願う。

 

 

ABU FOR LIFE、BASS FOR LIFE.
今江 克隆